お勉強を優先させる幼児教育をほどこすと、子どもが将来生きる意味を見いだせず、「ストレス耐性の弱い人」になりやすい理由

「ぜひ、読んでみてください」とご紹介a1180_004021いただいたのが、コチラの本です。わたしにはちょっと難しい本でしたね(笑)

普段読んでいる本とは、少し趣が異なり、若干苦労しましたが、金言の数々でございました。

 

 

幼児期 子どもは世界をどうつかむか 本の概要

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  • 今日の幼児の世界は早くからおとな社会の強大な圧力にさらされています。-中略-幼児期においてこそ形成されるべき人間の生き方の基礎があるにもかかわらず、その獲得が不十分なまま、子どもたちはおとな社会へ投げ出されてゆきます。(P.2)
  • 学力低下論で言う基礎学力にしても、学校以前の幼児期保育や現在の幼児の生活状況との関連から考えてかからないと、本格的な改革にはつながりません。たとえば、(P.6)
  • 特に能力主義と情報処理の結びつきは「能率至上主義」を強化し、「オソイコト」「時間をかけること」はもっとも忌まわしい性質として位置づけられます。「ヒトリデ ハヤク デキルコト」、これが能力主義のスローガンです。-中略-そこでは子ども同士が「できない子」「助けられる子」「遅い子」を軽蔑の対象としてゆくからです。(P.9)
  • 「できないこと」「助けられること」「遅いこと」が人間、特に、子どもにとってもつ意味を無視するところに、能力主義が子どもをゆがめてゆく原因があります。人間は一人で「できない」からこそ助け合い、「助けられた」ことへの感謝が人の共同性を支える力となってゆきます。(P.10)
  • 能力主義的能力の中でも、特に情報処理能力の養成にもっとも重点があてられるという形で。それは論理操作や因果則の適用に大きい有効性をもつ、大きな能力のひとつではありますが、早期からその促進のみを主目的とするのが教育であるならば、子どもに潜在する他の諸能力を枯渇させてゆく面を見逃せません。(P.11)
  • 子どもは小さく、親に多くを依存しているとはいえ、一人の人間として自分の生活を生き、その生涯の出発期を生きています。親でも奪えないもの、犯せないものが生まれた時から備わっている存在です。その確認から出発しない限り、表面は愛情に彩られていても、子どもの「物」化は進行してゆきます。(P.13)
  • かつてはさほど重視されなかった幼児が金儲けの対象としての価値をもつ市場が成立してきたことに他なりません。(P.14)
  • より早く、一人で何でもできる教育が幼児期へと侵入し、しかもそれが人間のさらなる能力の開発につながるとの信念によって、今後もより加速される傾向にあることに注意したいと思います。(P.15)
  • 子どもに問題行動が発生すると、社会はすぐその子の幼児期のしつけの不十分さに短絡させようとします。そして、近頃の親の態度の「甘さ」や「父親の権威」の喪失というきまり文句で結論づけます。よその子の失敗を、その親のしつけの失敗と断じ、我が子の社会的順調さを自分のしつけの成功とみなしている親もいます。(P.22)
  • 子どもはしつけの中で、いちばん好きな両親や先生が自分に課してくる要請と、自分の要求との対立に苦しみながら、そしてその中で親や先生との共同生活をどう作り上げてゆくかに悩みながら、人間の生き方の基本を学んでゆきます。(P.30)
  • 現にかつてとちがって、「あんないい子が」とか「平素は礼儀正しく愛想の良かった子なのに」と言われる子が非行に走ったりすることも多く報告されています。知識としての善悪はどの子でも(いじめをする子でも)知っていますが、「生きる意味」(自己の実現と他者との関与の統合)を求める基本的態度の形成が希薄のまま、児童期や青年期に至る子が多くなっているのではないかと思います。(P.30)
  • そうした中を生きてゆかねばならぬ子どもがまず幼い時期、生きることの基本的問題と意味、自己の実現と他者との関与の統合ということを、しつけの中でどれだけ体験できているかが人生への出発点としての幼児期のもつ意味を左右する、と言いたいのです。(P.31)
  • しつけにおいてもっとも重要な必須条件は、それが「好きな人」からほどこされるということにあります。(P.34)
  • しつけが積極化してきますと、子どもから見る「オ母サン」の姿は大きく変わってゆきます。それまでは常に、自分を全面的に需要し、自分に快を保障し、不快な状況や対象を取り除いてくれるはずであったその人が、今度は自分にイヤな事を要求してきたり、したいことをいちばん妨害する存在にもなってきます。しかも一方では、今もいちばん好きな人であり、また非力な自分はその人を離れてはいきてゆくことはできません。(P.37)
  • おとなの側からすると、しつけは自分たちが「正しい」「当然」と信ずる規範を、子どもに無条件にあてはめてゆくことと考えられます。-中略-自分のしたいことを親はさせまいとし、親が求めてくる行いは、およそ自分のしたくないことがほとんどです。しかもそこに賞罰がともなってきます。そして言うまでもなく親(先生)の要求は、その背景としての文化や社会のもつ規範に基づいています。彼らは子どもに最も近い味方であるとともに、自分に対して対立してくる社会の代表者であり、その執行機関であるわけです。子どもにとっては、社会との対決の出発です。(P.42)
  • しつけが人生の基礎となると言う意味は、生活習慣のスキルや善悪知識を身につけるということだけでなく、自己への信頼と自尊心の第一歩を、しつけの中で踏み出してゆくことにあると思います。(P.52)
  • ことに子どもが遊びを通じて自らの中に育んでゆく「想像力」は、人間が苦しい現実に直面した時、それを超えてゆく原動力になるものです。(P.71)
  • 子どもは「規則」とか、「ルール」という概念は、まだ充分持ち合わせていません。「ゲームの仕方」という形か、せいぜいゲームでの「約束」という形でとらえているのでしょうが、誰もがそれに従い、「守らねばならぬ」ものの存在を知り始めると言うことが、子どもの発達に大きい契機をもたらすことを見落としてはならないと思います。(P.93)
  • しかし、大人や小中学生と比べると、幼児は同じ場にいる限り、初対面でも比較的誰とでも友達になり、一緒に遊びます。(P.95)
  • 小学生や中学生になってから、「人の心を大切に」とか「相手の気持ちを考えよ」とか「心の教育」をいくらとなえても解決しない問題だからです。(P.98)
  • 子どもの表現力の基礎も幼い時から、絵にせよ、音楽にせよ、物語にせよ、すぐれたさまざまの表現に接することによって大きく育ってゆきます。(P.155)
  • 対話やコミュニケーションの発達という語を表面的に受け取ると、それは他人に向けて、外に向けて語りかける能力や技能の上達という捉え方になりがちです。その面を強調することは間違いではありません。しかし、ことばは今一つ重要な性質をもちます。それはことばが、外なる他者に向けて発せられるだけでなく、自己に向けて、つまり内に向けて発せられるという面です。

 

幼児としつけと、人生の意味

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この本ほど、こんなに「根本的な幼児教育」を問うた本は、初めてでした。さすが、紹介されるだけありますね(笑)

一言で”しつけ”と言っても、それはもちろん画一的ではなく、その家庭によって方針は異なります。そのことは、わたしが説明するまでもないでしょう。

 

”しつけ”が充分に効を成すには、自分が愛している人、また愛されていると自覚できる人からのしつけであることを、しつけされる子どもが自覚しなければならないということ。確かにそれは、仰る通りです。

 

娘が通う保育園の園長先生が言いました。「おべんきょうをいろいろさせたい親御さんもいらっしゃるでしょうが、今は生きていくのに必要な力を養う時期です」と。わたしも、その意見に大賛成です。

ただ、わたし自身、スマホやビデオに子守りをさせてしまうことも多く、反省しなければならない点が、とても多くあります。

今までたくさんの育児書を読んできたわたしですが、この本は、本当にはっとさせられる内容が多く、考えさせられることばかりでした。

 

 

あなたは、どう思いますか?

 

 

seiko について

たけうち せいこ 「国や社会の枠組みを越えて、自由に人生を演じられる人に育てる」ことを教育方針にしています。具体的に言うなら、「自分で仕事を作って、稼いでいける力」を養う、ということでしょうか。 都内在住。『 みずがめ座×AB型』 という、占いでは「先進的で変人」と明記されることの多いわたしですが、個人的には非常に保守的な人間だと思っています。趣味は読書、あとオシャレをするこ と。夫と娘の3人暮らし。

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